今までの常識が通用しなくなっていることに、気づいた時には被害に遭っていることが増えてきた。その時が来てからでは遅い、日々の生活の中で何に気づき、どんなことをしておいた方が良いか・・・考える時が来たのかもしれません。
私は伊豆山の災害ちょうど1週間前に、熱海のMOA美術館で行われた船井幸雄記念館の5周年講演会に参加した。だからこそその1週間後の伊豆山の災害は、ショックだった。この日は沼津も大雨で近くの主要の橋が落ちた。
多分あの時からだろう。私にできることってなんだろうと真剣に考え始めたのは…伊豆山の時は熱海の宿泊施設がすぐ被災者を受け入れてくれた。物資も市役所に集まっているようだった。報道でもSNSでも情報は入ってきて、それでも何かできることはないかとボランティアには即登録した。ボランティア保険も即加入した。それでも泥の除去などの作業は、私には無理だった。無理に行けばいけないこともないのだろうけど、多分私が現地で作業をすると逆に労われてしまいそうだ。いつか私にできることをやる瞬間がある…漠然とその予感だけはしていた。だから今でも伊豆山に行き、伊豆山の人と話し、伊豆山の人々の憩場、あいぞめ珈琲店に友人とともに訪れたり、リーヴル・エスパース in あいぞめ珈琲店を開催させていただりした。
そんな心寄せができるきっかけは、何年か前に沼津の狩野川が溢れる寸前だったことだと思う。父から狩野川台風の話は聞いていたが、まさか溢れる寸前の恐怖を味わうことになるとは思わなかった。
ここ数年の出来事が、今回は例年と違う感じがするという直感が働くようになった気がする。今まで大丈夫だからが通じなくなっていることに気づいたのだ。今回この感覚がこの日はあった。9月23日の21時ごろから入ってくる雨量の多さ、静岡県内西部、中部と広範囲に渡る異常な雨量、胸騒ぎが止まらなかった。各箇所にいる友人の顔も浮かぶ…でも状況は掴めない…
今回の災害はウキペディアにも令和4年台風15号に詳しく掲載されている。でも今回の台風は、発生当初全く情報が入って来なかった。停電の情報も断水の情報もどの地域なのか具体的は何もわからなかった。ちょうどその時に静岡で子育て支援の研修があったが、県の研修で何事もなかったように、通常通り行われた。でもその時何気なく話した隣の人は、なんと自宅が床下浸水の状態だった。それでも研修を欠席してしまうと資格は今年は取得できなくなるため、来たと淡々と話す姿に唖然とした。報道では流れてこない、被災者当事者の話。「自分の家は床下浸水だけで間逃れたが…」これでいいのか?この人たち置き去りになっているのではないか?翌日居た堪れず、家にあったアロマオイルを持っていき渡した。掃除の時にバケツの水に入れて床などを拭いてくださいねと渡したのはティツリーのオイル、辛い掃除の時間が少しでも香りで和らいてほしいという気持ちも込めてお渡しした。
実は前日の研修の後に、清水の知人に水を届けた時も、我が家は浸水は逃れましたが、周りは大変な方がたくさんいます。だからお水ありがとうございました。と言われた。断水3日目でご本人たちも大変な状態にもかかわらず…その時もお風呂にきっと入っていないだろうとペパーミントのオイルをバケツに数滴入れて身体を拭いてくださいと言って渡してきた。後日身体もすっとしスッキリして、身体から香香りに癒されましたとご連絡いただいた。
会話の中に出てくる言葉をただ聞くだけだが、一言一言がせつなくなった。今回県や市の対応が、あまりにもわからない。個人レベルでの動きがいかに大切なのか現地の人と実際会うたびに痛切に感じたことだった。次の投稿につづく…