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つぶやき 独り言

暮らしのひとしずく 003

「地震の記憶と、今この瞬間に寄せる想い」~高知で感じた揺れと、家族を想う日々の中で~

NHKの朝のテレビ小説「あんぱん」を私は観ています。今週は、戦後大きな地震が起きたその時のことを放送してました。

地震が起きたとき、人は何を思うのでしょう。

あのとき私は、高知にいました。夏の空の下で、よさこいの祭りに向かう日でした。

「大丈夫?」

電話越しの義母の声で目が覚めました。静岡で地震があったと知り、私はまだ小さい子供たちと高知にいるから大丈夫だと寝ぼけながら答えました。テレビをつけると、目に飛び込んできたのは、思っていたより地元での大きな地震のニュース。主人と父は、高知へ向かうバスの中。母は実家で一人。母の寝室には積み上げた本棚があり、「大丈夫かな…」と胸がざわつきました。

携帯はなかなか繋がらず、ようやく通じたとき、夫と父は無事で、バスの中から高知駅に向かっているとのこと。ホテルの部屋から、駅に到着したチームのバスを見て、少し安心したのを覚えています。チームはというと「これから桂浜行ってくる〜」と、予定通りの行動で地震などなかったような…

母にも電話が繋がり、ホッとしたのも束の間。後から、チームが通った東名の一部が陥没していたと知り、「さすが父、持ってるな…よかった」と心の中でつぶやきました。

私にとって地震の時、必ず浮かぶ記憶がある。

私は阪神淡路大震災の時に、104の番号案内で働いていました。通信規制がかかり、電話が繋がらず右往左往する人々が

「家族の安否を…」

104で繋がる電話を探そうと、そう訴える切実な声が、今でも耳に残っています。休憩中に見たテレビの映像と、その声の記憶は今でも忘れられません。

昨年のよさこい祭りの前の時も、高知で揺れを感じました。揺れの異常さに、すぐに高知出身の知人に連絡を取り、避難場所や津波がどこまでおまちに来るのか?確認しました。

何も連絡もネット上の情報もないまま、娘とよさこいの練習に向かい、練習中に「南海トラフ地震注意情報」が出ていたことを知りました。急いで主人に連絡し、「帰るべきか」と相談。「帰っても同じ。今は、避難先などを確認しておくこと」と返ってきて、結局私たちは高知にとどまることを決めましたのちに主人たちは高知入りをし、よさこい祭りも注意情報を気にしながらも無事開催されました。

そして、今週ドラマの地震のシーンを見たその日、我が家で寝そべっているとドーンと揺れました。緊急アプリの音が鳴り響いてはいたものの、テレビもネットも速報は入らなかった。緊急アプリのみ震源地を示してくれた。芦ノ湖。すぐ近くだった。10分後にテレビもネットも速報が入った。震度2。地震系の不具合で速報が今遅れているらしい。

今どこでも地震は起きる

何か起きた時に、人は大切なもの、自分が大切にしたいものに気づかされてきたのかもしれない。いつ 何時何が起きるかわからない。そして情報がすぐ来るとも限らないし、正しい情報とも限らない。

起きる怖さを感じるより、今この瞬間があることに感謝し、今誰と居たいのか?居場所を作るのではなく、心に寄り添うことに趣きをおきたいと今私はそう思う。

我が街には、狩野川台風の記憶を継ぐ灯籠流しがあります。このタイミングで参加しました。想う相手のためにお寺の方々が、ひとつひとつ丁寧に名前を書いてくださる。命を思い、灯をともすその姿に、胸が熱くなります。我が街沼津にはお寺が100以上あります。でも昔はよく見かけた托鉢の僧侶の姿も、今は少なくなりました。日々守られているということにも、改めて気づかされました。

今この瞬間を生きる終わりに 〜「何か」をするより、「今」を生きる〜

地震や災害のたびに、私たちは「大切なもの」に気づかされてきました。けれど、怖がってばかりでは生きていけないだからこそ、「今、この瞬間を生きていること」に感謝したいのです。

私は今、「何かしたい」と思えているわけではありません。「自分に何ができるか」も、わかっていません。けれど、今を楽しむこと。限りある時間を、誰とどう過ごすかを選ぶこと。その一歩一歩が、未来をつくっていくのかもしれません。

情報はいつでも手に入るとは限らない。だからこそ、“自分という術(すべ)”を磨いていきたいと思います。

あなたが「今、誰と一緒にいたい」と思うのは、どんな人ですか?そしてその人に、何を伝えたいですか?

ふとした瞬間に立ち止まりたくなる。そんな「気づきのしずく」をすくい上げて、「暮らしのしずくシリーズ」は、今日も言葉にしています。ありがとうございます。

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